自分の人生を生きるということ

今日はシンガポールに来てから更に考えるようになった家族の話。

 

○卒業したら親元を離れることを当たり前だと考えていた高校3年生

私は、高校を卒業してから家族とは離れて暮らしていた。自宅から通える大学には行きたいと思えるところがなかったためだ。願書すら出さなかったし、模試の志望校欄に現れたこともなかった。

私は大学から東京に来たのだけど、「東京の大学の方が良い先生に会えるから」とか意識の高い理由を散々並べながら、田舎のイモ臭い女子高生だった私は「東京」に憧れていたところもあった(結局最初に住んだのは東京西部郊外で新宿まで出るのに30分以上かかるところだったのだけど・・・)。

家族もそれを歓迎してくれた。「どこでも行ったらいいし、好きなことをしたらいい」といつも言ってくれた。私はその言葉に安心して、誇りをもって東京に出てくることができた。

 

○離れていく家族

上京してからは帰省するタイミングは1年に1度、期間は長くても1週間くらいだった。「地元にいてもすることがない」と言って、滞在する日数はどんどん短くなっていった。

父親は中学の時に亡くなって母一人・娘一人の家族だったこともあり、母親は特に寂しさを親戚に漏らしていたようだった(冗談めかして言ったのか、本気のトーンだったのかはその場にいなかったので私には定かではない)。

私は申し訳ないと思いつつ、休みがあれば地元に帰るよりも海外に遠出してリフレッシュしたいと思っていたし、実際そのように行動していた。

母親も母親で彼女の人生を楽しく生きているようだったので、あまりべたべた干渉しない(人によっては若干ドライだと感じるかもしれないが)、そういう家族の在り方もアリかなと思っていた(し、今も思っている)。

 

○「いつまでもいると思うな」

シンガポール駐在が決まりそうだったとき、母から祖母が倒れたと連絡。それが金曜夜だったので、土曜朝の新幹線で地元に帰り一泊して日曜に東京に帰った。

実際は祖母は倒れたのではなくて、事態も深刻なことではなかったようだが(どこの母親もそうだと思うが我が家も例にもれず、得意の母の誇張である)。祖母はそのあと驚異の回復力を見せて親戚一同一安心した。1年経った今も家の中を歩き回るくらいの健康状態は保っているようである。

久しぶりに年下のいとこにも会い、私よりも高くなる身長や大きくなるガタイに成長を感じた。その一方で、祖母だけでなく母や叔母の小さくなる背中を見て寂しい気持ちにもなった。私が地元に帰っていない間に、ずいぶん時間は経っていたようだった。

 

○遠くからでもできる親孝行を

シンガポールに来てからは離れていても家族孝行をしようと、シンガポール各地(ときどき海外)をめぐり、動画に撮って家族にシェアした。マーライオンやモスクなど観光スポットから、ホーカーセンターやスーパーマーケット・飲み会のような日常の風景まで。体力的にもう海外に行けないしそもそも生涯海外に行ったことのなかった祖母は特に珍しがってくれたようで、先日お礼のお手紙とお守りが送られてきた。

家族3代が入っているグループLINEがあり(祖母の一件があってからできた)、私はそこに動画をどんどん投稿しているのだが、私がシンガポール動画をアップしてから他のメンバーも動画やメッセージを投稿するようになった。シンガポールに来てからの方が寧ろ家族のコミュニケーションが深まったのではないかとすら感じている。

 

○家族観・仕事観はみんな違うし尊重し合うべきもの

シンガポールに来てから、こちらに留学している中国人女子大学生に会った。

彼女は1年間の大学院のプログラムが終わったら、中国に帰って就職するという。英語も立ち居振る舞いも知識も、全てがシンガポールで働くにあたって申し分ないほどなのだけど、海外でバリバリ働くよりもご家族といる方が大事なのだという。彼女のデスクには褪せかけた家族写真が貼ってあった。

一方で、就職先や働き方については彼女もご両親と揉めたらしい。ご家族は(やはり?)政府系機関や銀行など「人生が保証された」ところに就職してほしいとのことだったが、ビジネスやファイナンスシンガポールまで来て学んだ彼女としてはもっとチャレンジングな場を望んでいるようだった。中国に限らず、日本でも同じような話はあるのかなと思うし、実際私も就活中にそういう話を聞いたことがある。

現在彼女は中国に戻って就活中のようなので、彼女の納得のいくように頑張ってほしい。

彼女とランチを食べながら「自分の人生を生きなきゃね」と良く話していた。ランチの時間にシリアスな話題だなあと我ながら思うが、(私としては恐れ多くも)お互いに似た境遇であることを分かち合っていることもあり、そうやって互いを鼓舞し合っていた。

私も家族は大好きだし、大事に考えている。今でも家族に何かあれば、すぐに航空券を取って日本に一時帰国するつもりだ。でも、私はここに来るまで、受験も就活も働いてからも、それなりに頑張ってきた。そこで自ら掴み取った駐在なのだから、自分の納得のいくまで職務を全うしてから日本に帰りたいとも思う。

私は私の人生を精一杯生きているし、そのことが家族にとっても嬉しいと感じてもらえることだと信じたい。

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