外から見た日本シリーズ:完璧主義
シンガポールに来て、良い意味でラフに考えられるようになった。「完璧」を求めすぎなくなった。
海外でキラキラ駐在員を目指している割に(だからこそ?)、私は「完璧」を求める日本人っぽい真面目な部分もある。
例えば、高校時代は廊下に張り出される模試の結果では常に上位を目指したし、
大学生になっても授業は出席を取らないものでもほとんどサボらずなるべく前の席で聞いていたし、
大人になってからも友達とご飯に行くのに、何曜日でも何時でも絶対お店を予約しておかなきゃと思っていた。
「さすがにそこはちゃんとやらなきゃまずい」ということから、放っておいてもどうってことないことまでも気になるタイプで、先の見えないことにも漠然としかし強く不安になることもあった。
社会に染まっていくにつれて、完璧にするべきこと・しなくてもいいことの線引きが少しずつ見えるようになって、力の抜き方もなんとなく分かってきた。
が、シンガポールに来てから「完璧にしなくてもいい」と思いがちになっている。だってまわりがそうなのだから。
例えば今私が働いているビル。
シンガポールは今建設ラッシュで、特にベイエリア地区はオフィスビル・コンドミニアムの建設が進んでいる。
これだけだと、まあなんてことはない。日本でも再開発が進んでいる地区もあるし、建設中のビルもいっぱいある。
シンガポールのすごいところは、建設途中でも一部テナントが使えるのであれば開放して利用しようとするところ。
今働いているビルもそうで、エントランスは100%できていないし隣接するコンドミニアムも建設中だけど、オフィスフロアは完成しているので入居している。
確かにときどきうるさいし、エントランスが一部使えないことに不便はあるが、仕事に支障をきたすレベルではない。本来の目的は果たせている。
日本だったら、1から10まで使えるように工事を完成させて、(できる限り)全テナントを入れてから、オープンにするのでは?
また、先日、シンガポールで働く女性の先輩がこの記事をシェアしていた。
トピックは少々違えど、根本の言いたい事は同じだと思う。全部自分が完璧にやろうとするのではなく、そもそも自分が何をしたいかという目的を果たすために、やるべきことを取捨選択して管理する。
時間も自分のキャパも限られているのだから、そうせざるを得ないというか、それが最適解なんだと思う。
少し話をそらすと、日本人って「他人に迷惑をかけないように」生きることを美徳としているところがあると思う。
※事変の某都民にもそういう歌詞あるよね。
前にシンガポール人の友達から、
「渋谷のクラブで遊び明かして始発の電車に乗ったとき、酔っ払いが床で寝てたけど誰も助けなかったんだよね。なんで?」
と聞かれた。そのとき私は、(「なんで?」って言われても。なんでだろう?と思いながら)
「確かに私もその場にいたら、助けようという気持ちにはあまりならないかもしれない・・。むしろ酔っ払いを『みっともない』と思うかも。でもなんでって言われるとなぁ・・? 面倒なことに巻き込まれたくないから?」
と言う感じで適当に返してしまった。冷徹と思われるかもしれないけど、日本人の大多数ってこう思ってるんじゃないかな?
その「なんで?」の回答が、もしかしたらこの日本人の特徴なのかもしれない。
他人に迷惑をかけない、社会に迷惑をかけない・・・でもそんなことって100%できるのだろうか。
(ちなみに彼曰く、シンガポールで同じようなことが起きるとすぐに誰でも助けようとしてくれるらしい。私はシンガポールでそういう場面に遭遇したことがないから分かんないけど。)
シンガポール(の特にサービス)は、「雑」「適当」と言われることがあるし、私もよく感じる。ただ、もしかしたら日本が完璧すぎただけなのかもしれないなぁとも。
「シンガポールに染まっちゃいましたわぁw」と今より適当な人間になることは、やっぱり日本人な私が許さない。
でも、そもそもの目的にそこまで沿っていないこと・オーバーすぎることまで全て完璧にしようとは思えなくなってきたので、少し南国ナイズされてきたのかもしれない。