シンガポールでHSKを受験した話
中国語を勉強しようと思った理由
シンガポールで生活するまでは、シンガポールではみんな英語を使っているものだと思っていた。しかし、実際は英語も使うけど、英語だけでなくそれぞれの民族の言葉も話すことも多い。
特に中国語。
チャイナタウンという区画はあるが、チャイナタウンの外に出ても中国語の看板・中国語を話す人は良く目にする。私自身も顔が薄い方で中国人に間違えられることもあり、よくホーカーセンターの人からは中国語で話しかけられる。
シンガポールの英語、シングリッシュの中にも中国語起源の言葉も多い。(ていうか、英語を話しているのにいつの間にか中国語になっているのでは??と思うこともある)
そういうわけで、シンガポールで暮らすにあたって中国語は多少分かっていた方が暮らしやすいのでは?と思うようになった。ただ闇雲に勉強するのではモチベーションも下がるので、一旦HSK2級(初級レベル)合格を目標に勉強することに決めた。
HSK勉強方法
まずはテキストを購入。CDプレーヤーを持っていなかったし音声DL付きのテキストがあったのでそれをAmazonで。紀伊国屋なんかの日系書店でも手に入るけど日本での価格と2-3倍高かったと思う。(Amazonも送料込みだと同じくらいになるか・・)
章ごとに、例文集+問題の構成になっている。私は、例文を聞く→書く→話すを繰り返して問題を解いた。2周くらいした。他には何もテキストは使っていなかった。
普段から漢字に慣れている日本人だとおそらく2級はそんなに難しくない。単語とリスニングさえできれば普通に合格できると思う。
HSK申し込み方法
日本でももちろんHSKを受験できる。
ネットで簡単に申し込み出来て、受験料もクレジットカードで決済できる。
シンガポールもそこそこに効率化された社会なので、日本と同じようにネットで申し込みできると思っていた。
が、なんとシンガポールは手書き受験票を受験センターに持ち込むという古典的な方法を取っていた・・・・。
上記リンクのRegistration formを印刷→記入して、セラングーンの受験センターまで持参・・・。シンガポールでは中国語なんて話せて当たり前のような感じだから、そもそも受験する人も少ないからなのかもしれない・・・。
そういえば受験料も日本で受験する場合と比べるとかなり高い。2級だとシンガポールでは100SGD、日本だと4800円ほど。ほぼ倍違う・・・。
こうして若干の不満を抱きつつ、セラングーンの受験センターまで遥々向かい、2級の試験を申し込んだ。
受験をしてみて
先に言った通り、2級は日本人なら多分かなり楽勝で、私もかなり高得点で受かった。
合格していたことも嬉しかったが、実生活でもかなり活きていることも嬉しい。
簡単な中国語ならコミュニケーションできるようになった
例えばホーカーセンター。特に活きているのはお金を払うとき。店員さんの中には、「XXドルになります」も中国語で言ってくる人もいる(それに、それ以外の場面は指さしでなんとかコミュニケーションできる)。
How much?と聞き直しても答えてくれるが、数字さえわかれば中国語で言っていることが分かってスムーズにコミュニケーションできる。
中国語が仲良くなる1つのきっかけになった
こちらに来て日本語を勉強している外国人の方に会うことがたまにある。
「日本なんてこれからどんどん落ちぶれる国かもしれないのに・・・」とか「日本語なんて世界中で見れば話す人はすごく少ないマイナーな言語なのに・・・」とか少し思ってしまうが、「すごいなあ」とか「嬉しいなあ」とか「ありがたいなあ」ともやっぱり感じる。
おそらく逆も然りで、こちらで会った中国人の友達に「最近中国語を始めたんだ」というと、嬉しがられたというかすごくポジティブな反応をもらえた。We chatで簡単な中国語で話せるようになった。
言語が分かればいろんな人とコミュニケーションできるようになる、を机上の空論を飛び出して実践できる。中華系の人が多いシンガポールの特権だと思う。
シンガポールで生活する上で中国語は必須ではないが(英語さえわかればOKなので)、知っていれば楽しく生活できると思った。
「海外で仕事をしていて英語は伸びるのか」問題
海外で働いてみて1年になる。
私はトレーニーとして働いているので、近いうちに一時帰国して英語のテストを受けてトレーニーの成果を報告しなければいけない。
そんなこともあり、シンガポールで生活・仕事してみて感じる英語について少し振り返ってみたい。
生活する上で英語は必要、だけどビジネス英語は?
シンガポールは多民族国家で、なおかつ外資系企業がたくさん進出しており外国人も多い。英語は公用語の1つであり、シンガポールに暮らす人のメインの共通言語だ。
英語はコミュニケーションツールとしてなくてはならないもので、生きる上で必須である。ただ、日常生活においてはそこまで高いレベルの英語が求められることは少ない。
高いレベルの英語が求められるのはビジネスにおいて。では、仕事ではどうだろうか。
私自身、日系企業の社員かつ、仕事で関わる会社も日系企業が多いので、正直100%英語かというとそうではない。日本語:英語の割合としては50:50付近である。
他の日系企業を見ていても、日本人は日本人のチーム・島になっているケースが見受けられることが多いと思う。ある程度ランクが上がってから海外で仕事をすると、他のローカル社員に指示を出したり、会議に出席したりしてビジネス英語を身につけられる機会は嫌でも出てくるだろうが、若手はどうだろうか。どちらかというと、雑務(っぽいこと)や普段の会話という場面でローカル社員と英語で話すことの方が多いんじゃないんだろうか。これが例えばローカル企業や外資企業の現地採用だと英語の割合も上がるかもしれないが・・・。
ただし、(後々にローカル社員に共有されることも考慮されて)資料は英語で作成されることが多い。資料を作る(=手を動かす)メンバーの多くはまさに若手であり、ビジネス英語を全く使えないかというとそういうわけではない。
「きれいでない」英語圏を選択することの良いこと・悪いこと
先に述べたように、シンガポールは公用語の1つは英語ではあるものの多民族国家である。また構成される民族は、中華系・マレー系・インド系などもともと英語をメインで使っていない人が多い。
そういうことも相まって、シンガポールの英語は訛りがかなり強い。中国語・マレー語がルー語よろしく英語に交じっていたり、イントネーションもそれっぽかったりする。
イメージとしては、日本語でいう標準語がアメリカ英語だとしたら東北弁・沖縄弁がシンガポール英語だろうか・・・。1年暮らしていても、ローカルの人たちがシンガポール訛りの英語で話しているのを聞いても100%内容を理解できない。。
そんなわけで、私はシンガポールでは「きれいな」英語が話されているかというとそうではないのでは?と思っている。
そういう国に行くと、日本で受けた教育で培ってきた「きれいな」英語を忘れてしまうという悪い点はあるが、決してそれだけではない。
最大の良いこととしては、英語に対するハードルが低いことだ。
多少間違っていても、みんな完全な英語を話しているわけではないので「通じればOK」である。私自身、お店やカジュアルな場面では単語だけで話すこともある。ジャパニーズ訛りを気にされることも少ない。
「英語を学びたい」という気持ちでシンガポールを選択することはお勧めしない。しかし、シンガポールは「いろんな文化の人と交流・仕事したい」「いろんな価値観に触れたい」という希望を120%満たしてくれる。
待っているだけでは伸びない
いずれにせよ思うのは、「英語が伸びる・伸びないはケースによる。が、ケースは自分で作り出せる」ということだ。
留学にしろ駐在にしろ、海外に行くと日本人は日本人コミュニティで固まりがちである。もちろん人脈形成のためには大事だし、私自身現地で日本人の同僚や友達に助けられたことがたくさんあり、そういうコミュニティには顔を出してみてもいいと思っている。
だけど英語を使いたいというのであれば、積極的にローカルの人や外国人と絡みに行くべきだし、仕事でもそういう機会をリクエストすべきである。
いざ使える場面になったら、使える表現やコミュニケーション方法を彼らからひとつでも多く盗み、自分のストックにしていく。そういう地道な努力で伸ばしていくしかないのではないかと思う。
リーダーシップについて考えてみたこと
「リーダーシップを取った経験がないんです」
最近縁あって日本の就活生と話すことがあった。
彼らの多くは真面目で、学歴が優秀で、海外で働きたいという気概があって、私は頼もしいと思い可能性を感じた。「後輩になったら抜かされちゃうかもな~」と少し焦った場面もあった。
そんななか、たまに引っかかる言葉があった。
「リーダーシップを取った経験がありません。でもリーダーの話をした方がウケがいいですよね?」
(本当はもっとオブラートに包まれているが・・・)
確かに私が就活をしていたX年前も、「リーダーシップを発揮した経験」だの「チームをまとめた経験」だの、そういうエピソードが求められることはよくあった。
私も学生だったときは、「これもリーダーって言っていいでしょう」「これだってチームといえばチームの話だ」なんて半ばこじつけてエピソードを用意して(内心は必死になっているものの外面は)得意げに話していた。
運よく内定をいただけて今こうして社会人をしているから救われているものの、今になって考えてみると「なぜ企業はこういう話を求めているか」を立ち止まって考えてみればよかったかもしれないと反省している。
今日は、実際に働いてみて考えたリーダーシップについて書いてみる。
当事者意識をもって仕事をしていなかった
社会人になって数年経ち、もうさすがに新人とは言えないくらいにまで到達したとき、上司と2人で仕事を回す機会があった。
上司はとてもデキる人で、経験も知識も技術も、私とは比べ物にならないほど上だった。
仕事の内容はいろいろあったが、流れはだいたいにして、私が敲き台をつくり上司がレビューし、外部にお見せするというものだった。
仕事の期間が終わり、このようなフィードバックをいただいた。
「資料も綺麗だし、ファシリも上手になってきた。が、リーダーシップが足りない。」
(上司は優しかったので、これも本当はもっとオブラートに包まれていたが・・・)
私は、確かにそうだとしか思えなかった。
「上司が会議に同席してくれるから」とか「とりあえずここまで考えておいて、あとはレビューで見てもらおう」とか、もちろん口には出していなかったものの上司に甘えていたふしがあった。
でもそんな甘えた受けの姿勢だと、伸びるものも伸びない。誰かがチェックして客観的に見ておかしくないかを検討することは必須だが、それは手を抜いていい理由にはならない。
もちろんチームのリーダーは上司なのは自明だが、チームを動かすのはリーダーだけではない。リーダーでなくてもリーダーシップは持たなければいけない。
上司と会議に出席する場は、上司の発言に対して「私はこう考える」「この視点でも考えた方がいいんじゃないか」と食らいついて考える。資料作成するにしても、チーム全体で見て検討事項が足りているか確認する。上司のレビューを必要以上にアテにしない。
チームのためにはもちろん、自分のストレッチのためにも良い考えであるのは間違いないと思う。
チームのためにできることを自ら考えて動く、結果を出す
つまり、企業が新卒の学生に求める「リーダーシップ」って必ずしも「委員長」とか「部長」「会長」の類ではないんじゃないのかと思う。
確かに、「リーダー」をやるような気概を持った人が欲しいとか、度胸のある人が欲しい、とか「リーダー」を求める理由はあるかもしれない。そこは事業内容とか社風によるのだろうけど・・・。
でも本質的には、チームのためにできることを考えてチームをドライブさせていこうとした経験・そういう風に考えられる人を求めているのではないだろうか。
「リーダーなんてやったことなかった」「リーダーやったほうがいいのかな」と、「リーダー」の呪縛にかかっている学生の皆さんに少しでも届きますように。
自分の人生を生きるということ
今日はシンガポールに来てから更に考えるようになった家族の話。
○卒業したら親元を離れることを当たり前だと考えていた高校3年生
私は、高校を卒業してから家族とは離れて暮らしていた。自宅から通える大学には行きたいと思えるところがなかったためだ。願書すら出さなかったし、模試の志望校欄に現れたこともなかった。
私は大学から東京に来たのだけど、「東京の大学の方が良い先生に会えるから」とか意識の高い理由を散々並べながら、田舎のイモ臭い女子高生だった私は「東京」に憧れていたところもあった(結局最初に住んだのは東京西部郊外で新宿まで出るのに30分以上かかるところだったのだけど・・・)。
家族もそれを歓迎してくれた。「どこでも行ったらいいし、好きなことをしたらいい」といつも言ってくれた。私はその言葉に安心して、誇りをもって東京に出てくることができた。
○離れていく家族
上京してからは帰省するタイミングは1年に1度、期間は長くても1週間くらいだった。「地元にいてもすることがない」と言って、滞在する日数はどんどん短くなっていった。
父親は中学の時に亡くなって母一人・娘一人の家族だったこともあり、母親は特に寂しさを親戚に漏らしていたようだった(冗談めかして言ったのか、本気のトーンだったのかはその場にいなかったので私には定かではない)。
私は申し訳ないと思いつつ、休みがあれば地元に帰るよりも海外に遠出してリフレッシュしたいと思っていたし、実際そのように行動していた。
母親も母親で彼女の人生を楽しく生きているようだったので、あまりべたべた干渉しない(人によっては若干ドライだと感じるかもしれないが)、そういう家族の在り方もアリかなと思っていた(し、今も思っている)。
○「いつまでもいると思うな」
シンガポール駐在が決まりそうだったとき、母から祖母が倒れたと連絡。それが金曜夜だったので、土曜朝の新幹線で地元に帰り一泊して日曜に東京に帰った。
実際は祖母は倒れたのではなくて、事態も深刻なことではなかったようだが(どこの母親もそうだと思うが我が家も例にもれず、得意の母の誇張である)。祖母はそのあと驚異の回復力を見せて親戚一同一安心した。1年経った今も家の中を歩き回るくらいの健康状態は保っているようである。
久しぶりに年下のいとこにも会い、私よりも高くなる身長や大きくなるガタイに成長を感じた。その一方で、祖母だけでなく母や叔母の小さくなる背中を見て寂しい気持ちにもなった。私が地元に帰っていない間に、ずいぶん時間は経っていたようだった。
○遠くからでもできる親孝行を
シンガポールに来てからは離れていても家族孝行をしようと、シンガポール各地(ときどき海外)をめぐり、動画に撮って家族にシェアした。マーライオンやモスクなど観光スポットから、ホーカーセンターやスーパーマーケット・飲み会のような日常の風景まで。体力的にもう海外に行けないしそもそも生涯海外に行ったことのなかった祖母は特に珍しがってくれたようで、先日お礼のお手紙とお守りが送られてきた。
家族3代が入っているグループLINEがあり(祖母の一件があってからできた)、私はそこに動画をどんどん投稿しているのだが、私がシンガポール動画をアップしてから他のメンバーも動画やメッセージを投稿するようになった。シンガポールに来てからの方が寧ろ家族のコミュニケーションが深まったのではないかとすら感じている。
○家族観・仕事観はみんな違うし尊重し合うべきもの
シンガポールに来てから、こちらに留学している中国人女子大学生に会った。
彼女は1年間の大学院のプログラムが終わったら、中国に帰って就職するという。英語も立ち居振る舞いも知識も、全てがシンガポールで働くにあたって申し分ないほどなのだけど、海外でバリバリ働くよりもご家族といる方が大事なのだという。彼女のデスクには褪せかけた家族写真が貼ってあった。
一方で、就職先や働き方については彼女もご両親と揉めたらしい。ご家族は(やはり?)政府系機関や銀行など「人生が保証された」ところに就職してほしいとのことだったが、ビジネスやファイナンスをシンガポールまで来て学んだ彼女としてはもっとチャレンジングな場を望んでいるようだった。中国に限らず、日本でも同じような話はあるのかなと思うし、実際私も就活中にそういう話を聞いたことがある。
現在彼女は中国に戻って就活中のようなので、彼女の納得のいくように頑張ってほしい。
彼女とランチを食べながら「自分の人生を生きなきゃね」と良く話していた。ランチの時間にシリアスな話題だなあと我ながら思うが、(私としては恐れ多くも)お互いに似た境遇であることを分かち合っていることもあり、そうやって互いを鼓舞し合っていた。
私も家族は大好きだし、大事に考えている。今でも家族に何かあれば、すぐに航空券を取って日本に一時帰国するつもりだ。でも、私はここに来るまで、受験も就活も働いてからも、それなりに頑張ってきた。そこで自ら掴み取った駐在なのだから、自分の納得のいくまで職務を全うしてから日本に帰りたいとも思う。
私は私の人生を精一杯生きているし、そのことが家族にとっても嬉しいと感じてもらえることだと信じたい。
2017年の振り返り & 2018年の抱負
シンガポールは12/31。だけど、雪も降らなければ、寒くもない。
なんならお正月休みも1/1しかない。むしろまだ街はクリスマスの飾りが普通にある(さっきローカルの友達から「Hey Merry Christmas!!」って連絡きてびっくりしたw今更w)。
そういうわけでちっとも師走を感じられないのだけど、今年の振り返りと来年の抱負を。
【今年の振り返り】
シンガポールに転勤になったこと。これがいちばんのビッグニュース。
私は、よくあるトレーニー駐在プログラム的な社内公募で来ているので、自分から手を挙げてシンガポールに来た。
というものの、前年の事例だと結構な倍率だったので、ぶっちゃけ「いけたらラッキー♪」くらいに思っていた。それに、日本での仕事もそこそこ面白くなってきていた(し、結婚もしてもいいかもとも思っていた)ので、このまま日本で仕事するのもいいかもしれないとも正直思っていた。
でも結果、シンガポールに来てよかったと思っている。今のところ思う、「来てよかった」ポイントはこんな感じ。
・海外オフィスは日本と比べて人数が少ないので、日本では若手に回ってこないような仕事ができる。しかも、人数が少ない上にデキる人しかいないので、直属の上司が超絶偉い人だったり超絶頭がキレる人だったりして一緒に仕事していて楽しい。
・オンオフ問わず、母国語でない言語で、自分とバックボーンが異なる人とコミュニケーションすることは結構難しいし、頭と心を使う。ただ日常会話するだけでなく、いかに自分の言いたいことを伝え、思いを呑んでもらうか(逆もしかり)。当たり前だけど、その都度コミュニケーションを振り返り、改善するしかない。ストレスを感じるけど、単一民族・単一言語の日本にいるとあんまり感じない・考えないことだから、コミュニケーション能力を鍛える良い経験だと思う。
・どう生きたいかを考えるようになった。20代もそこそこの年齢に差し掛かってきて、結婚とか仕事とか家族とかいろいろと現実的に考えることが多くなってきた。シンガポールに来てからは幸運にもそこそこまったりと過ごせているし、これも大きなひとつの転機だと思っているので、この先何をして生きていきたいか、シンガポールでは何をしたいか、日本に帰ったら何をしたいか、などを考えるようになった。そして、何かにつけて発信するようにしてきた。
・シンガポール出発前、長らく会えていない友人たちとキャッチアップできた。理由が何であれ再会は嬉しいし、そもそも私と会ってもらえることが何より嬉しかった。日本で一緒に仕事をしていたメンバーからも何度も送迎会をしていただけて嬉しかった。
【来年の抱負】
来年も引き続きシンガポールで仕事をする。日本での本帰国はもう少し先にすることにした。ので、それ前提で来年の目標をいくつか・・・。
●家族を大切にする。
⇒東京にいるときは、ほぼ年1でしか帰省しなかったし、LINEも全然送らなかった。でも離れているからこそ、コミュニケーションは大事にしたい。シンガポールの風景や街並みを動画で送ると家族が喜ぶので(特に海外に行けないおばあちゃん)、これからもちょくちょく送り続けたい。そしてどんなに忙しくても半年に1回は帰省する!!
●リーダーシップを持って仕事をする。
⇒「スタッフだから」とか「上司がレビューしてくれるから」とか絶対に思わない。些細なコミュニケーションでも、自分だったらどう答えるかと常に考えるようにする。考えるためのネタを常にインプットする。インプットするときは、アウトプットを意識する(「ふーん」じゃなくて「私は(読んで)こう思う」「こういう視点は?」と考える癖をつける)。
⇒東京にいたときに、食べログでおいしそうなお店を探して、iPhoneにメモすることが趣味だった。シンガポールでも最近それを始めたので、是非趣味にしていきたい。いくつかBlogでも紹介できるといいけど、駐妻の皆さんという越えられない壁があるからな・・・w
(出発前に、行きつけだったバーで最後にいただいたシンガポールスリング!)
来年もマイペースに元気に頑張りましょう!良いお年を~。
11,12月の読書録
11,12月の読書録。
1. なぜ彼女が帳簿の右に売上と書いたら世界が変わったのか
複式簿記がない世界で、いろんなトラブルを解決したり会社を発展させるために、簿記や株式会社の考え方を主人公(みさ先輩)主導で導入するという話。
小説風に話が進んでいきつつも、間あいだで仕訳のメモだったりT勘定のメモだったりが書いてあるのでわかりやすい。財務会計の入門として。
2. ダークサイド・スキル: 本当に戦えるリーダーになる7つの裏技
前大ボスが勧めていて、おもしろそうだと思って読んでみた。
本当にデキる人になるには、いわゆる「リーダーシップ」とか「ロジカルシンキング」とかそういう表に出ているスキル・マインドだけでなくて、コミュニケーションの深いドロドロしたところも操れる「ダークサイドスキル」が大事ですという話。
ターゲットは、30-40代のミドル層だと思うんだけど、若手の私も「なるほど」と思って読めた。以下、「なるほど」「そうだよね」ポイントの一部。
・トップとミドルは将来会社に残る期間が違う(⇒のでミドルから発信して変革すべき)
・ミドルはトップのことも見えているし、部下のことも見えている。が、それぞれの逆は?⇒情報の非対称性を活かして立ち回る
・自分と周りをよく観察して、得意分野を把握しておく⇒自分の足りないものを埋めてもらってチームアップする
3. 楽しく学べる「知財」入門
なんとなく「知財勉強したいなぁ」と思って入門書として手に取ってみた。
体系立って理論を分かりやすく、というよりケース中心。なので、勉強のための入門というより読み物向きかもしれない。
普段「モノ」を作ったりしないから知財ってピンと来なかったけど、知財は、いろんな場面で・しかも細かい単位で管理されなければいけないことが勉強になった(言ってみれば当たり前だけど・・)。
4. そして生活はつづく
帰省のお供に軽い読み物が欲しいと思って購入。
「~は『つづく』」のサブタイトルのもと、いくつかのエッセイが収録されている。
内容としては、なんてことない日常を切り取ったものなんだけど、私はこういうエッセイがすごく好き。昔から他人のブログとかSNSとか見るのも好きだったし、他人がやっていて自分がやっていないことを追体験するのが面白い。
星野源さんの曲もパフォーマンスもセンスがあって好きなんだけど、素材の選び方というか切り取り方が上手いのかなぁとエッセイを読んだだけの素人は思ってる。
11,12月時間あった割にあんまり読めなかったなぁ。
外から見た日本シリーズ:完璧主義
シンガポールに来て、良い意味でラフに考えられるようになった。「完璧」を求めすぎなくなった。
海外でキラキラ駐在員を目指している割に(だからこそ?)、私は「完璧」を求める日本人っぽい真面目な部分もある。
例えば、高校時代は廊下に張り出される模試の結果では常に上位を目指したし、
大学生になっても授業は出席を取らないものでもほとんどサボらずなるべく前の席で聞いていたし、
大人になってからも友達とご飯に行くのに、何曜日でも何時でも絶対お店を予約しておかなきゃと思っていた。
「さすがにそこはちゃんとやらなきゃまずい」ということから、放っておいてもどうってことないことまでも気になるタイプで、先の見えないことにも漠然としかし強く不安になることもあった。
社会に染まっていくにつれて、完璧にするべきこと・しなくてもいいことの線引きが少しずつ見えるようになって、力の抜き方もなんとなく分かってきた。
が、シンガポールに来てから「完璧にしなくてもいい」と思いがちになっている。だってまわりがそうなのだから。
例えば今私が働いているビル。
シンガポールは今建設ラッシュで、特にベイエリア地区はオフィスビル・コンドミニアムの建設が進んでいる。
これだけだと、まあなんてことはない。日本でも再開発が進んでいる地区もあるし、建設中のビルもいっぱいある。
シンガポールのすごいところは、建設途中でも一部テナントが使えるのであれば開放して利用しようとするところ。
今働いているビルもそうで、エントランスは100%できていないし隣接するコンドミニアムも建設中だけど、オフィスフロアは完成しているので入居している。
確かにときどきうるさいし、エントランスが一部使えないことに不便はあるが、仕事に支障をきたすレベルではない。本来の目的は果たせている。
日本だったら、1から10まで使えるように工事を完成させて、(できる限り)全テナントを入れてから、オープンにするのでは?
また、先日、シンガポールで働く女性の先輩がこの記事をシェアしていた。
トピックは少々違えど、根本の言いたい事は同じだと思う。全部自分が完璧にやろうとするのではなく、そもそも自分が何をしたいかという目的を果たすために、やるべきことを取捨選択して管理する。
時間も自分のキャパも限られているのだから、そうせざるを得ないというか、それが最適解なんだと思う。
少し話をそらすと、日本人って「他人に迷惑をかけないように」生きることを美徳としているところがあると思う。
※事変の某都民にもそういう歌詞あるよね。
前にシンガポール人の友達から、
「渋谷のクラブで遊び明かして始発の電車に乗ったとき、酔っ払いが床で寝てたけど誰も助けなかったんだよね。なんで?」
と聞かれた。そのとき私は、(「なんで?」って言われても。なんでだろう?と思いながら)
「確かに私もその場にいたら、助けようという気持ちにはあまりならないかもしれない・・。むしろ酔っ払いを『みっともない』と思うかも。でもなんでって言われるとなぁ・・? 面倒なことに巻き込まれたくないから?」
と言う感じで適当に返してしまった。冷徹と思われるかもしれないけど、日本人の大多数ってこう思ってるんじゃないかな?
その「なんで?」の回答が、もしかしたらこの日本人の特徴なのかもしれない。
他人に迷惑をかけない、社会に迷惑をかけない・・・でもそんなことって100%できるのだろうか。
(ちなみに彼曰く、シンガポールで同じようなことが起きるとすぐに誰でも助けようとしてくれるらしい。私はシンガポールでそういう場面に遭遇したことがないから分かんないけど。)
シンガポール(の特にサービス)は、「雑」「適当」と言われることがあるし、私もよく感じる。ただ、もしかしたら日本が完璧すぎただけなのかもしれないなぁとも。
「シンガポールに染まっちゃいましたわぁw」と今より適当な人間になることは、やっぱり日本人な私が許さない。
でも、そもそもの目的にそこまで沿っていないこと・オーバーすぎることまで全て完璧にしようとは思えなくなってきたので、少し南国ナイズされてきたのかもしれない。