リーダーシップについて考えてみたこと

「リーダーシップを取った経験がないんです」

最近縁あって日本の就活生と話すことがあった。

彼らの多くは真面目で、学歴が優秀で、海外で働きたいという気概があって、私は頼もしいと思い可能性を感じた。「後輩になったら抜かされちゃうかもな~」と少し焦った場面もあった。

 

そんななか、たまに引っかかる言葉があった。

「リーダーシップを取った経験がありません。でもリーダーの話をした方がウケがいいですよね?」

(本当はもっとオブラートに包まれているが・・・)

 

確かに私が就活をしていたX年前も、「リーダーシップを発揮した経験」だの「チームをまとめた経験」だの、そういうエピソードが求められることはよくあった。

私も学生だったときは、「これもリーダーって言っていいでしょう」「これだってチームといえばチームの話だ」なんて半ばこじつけてエピソードを用意して(内心は必死になっているものの外面は)得意げに話していた。

運よく内定をいただけて今こうして社会人をしているから救われているものの、今になって考えてみると「なぜ企業はこういう話を求めているか」を立ち止まって考えてみればよかったかもしれないと反省している。

今日は、実際に働いてみて考えたリーダーシップについて書いてみる。

 

当事者意識をもって仕事をしていなかった

社会人になって数年経ち、もうさすがに新人とは言えないくらいにまで到達したとき、上司と2人で仕事を回す機会があった。

上司はとてもデキる人で、経験も知識も技術も、私とは比べ物にならないほど上だった。

仕事の内容はいろいろあったが、流れはだいたいにして、私が敲き台をつくり上司がレビューし、外部にお見せするというものだった。

 

仕事の期間が終わり、このようなフィードバックをいただいた。

「資料も綺麗だし、ファシリも上手になってきた。が、リーダーシップが足りない。」

(上司は優しかったので、これも本当はもっとオブラートに包まれていたが・・・)

 

私は、確かにそうだとしか思えなかった。

「上司が会議に同席してくれるから」とか「とりあえずここまで考えておいて、あとはレビューで見てもらおう」とか、もちろん口には出していなかったものの上司に甘えていたふしがあった。

でもそんな甘えた受けの姿勢だと、伸びるものも伸びない。誰かがチェックして客観的に見ておかしくないかを検討することは必須だが、それは手を抜いていい理由にはならない。

 

もちろんチームのリーダーは上司なのは自明だが、チームを動かすのはリーダーだけではない。リーダーでなくてもリーダーシップは持たなければいけない。

上司と会議に出席する場は、上司の発言に対して「私はこう考える」「この視点でも考えた方がいいんじゃないか」と食らいついて考える。資料作成するにしても、チーム全体で見て検討事項が足りているか確認する。上司のレビューを必要以上にアテにしない。

チームのためにはもちろん、自分のストレッチのためにも良い考えであるのは間違いないと思う。

 

チームのためにできることを自ら考えて動く、結果を出す

つまり、企業が新卒の学生に求める「リーダーシップ」って必ずしも「委員長」とか「部長」「会長」の類ではないんじゃないのかと思う。

確かに、「リーダー」をやるような気概を持った人が欲しいとか、度胸のある人が欲しい、とか「リーダー」を求める理由はあるかもしれない。そこは事業内容とか社風によるのだろうけど・・・。

でも本質的には、チームのためにできることを考えてチームをドライブさせていこうとした経験・そういう風に考えられる人を求めているのではないだろうか。

 

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「リーダーなんてやったことなかった」「リーダーやったほうがいいのかな」と、「リーダー」の呪縛にかかっている学生の皆さんに少しでも届きますように。